一人になりたいときはヴァンツァーのところに行く。

ノックもせずに目的の部屋のドアを開ける。人を拒絶する雰囲気を纏っている男だから、部屋に他の誰かがいる心配もない。
部屋に足を踏み入れ、ドアを閉めた途端にレティシアは纏う空気を変える。
この部屋の主は、ちらりと視線を寄越した後は再び端末に興味を移してしまった。ここに来る回数も重なったからだろう。
そんな態度に一抹の不満を感じる。前は自分が近くにいるだけで身を硬くし、こちらの様子を窺っていたというのに。
黙って彼のベッドに飛び乗り、体を横たえた。
ヴァンツァーはいつも端末と睨めっこをしている。
よくもまあこれほど、というくらいに勉強しているのだ。これで最近は時間を作って音楽を聴いたりもしていると言うのだから恐ろしい。
彼らしいと言えばそうなのだが。
軽く息を吐いて目を閉じる。静かな空間だ。
ヴァンツァーは何も言わない。レティシアが話しかけない限り、何も言わないだろうか。
この男は自分がこうして此処に来る事をどう思っているのだろう。追い出そうとする様子は無いので、そこまで迷惑がってはいないのだろうか。
それなら、それなら振り返りはしないだろうか。
ヴァンツァーが立ち上がった。
レティシアには目もくれず、部屋を横切ろうとするので手を伸ばす。腕をがっしりと掴んだ。
彼は呆れたように見下ろして、何だ、と短く尋ねた。
「どっか行くのか?」
「コーヒーを淹れようしている」
「俺の分も」
彼はちょっと首を傾げて、
「ミルクも砂糖もないぞ。それでもいいのか」
「嫌だ」
ますます呆れた眼差しになると、しばらく無言でレティシアを見下ろしていた。が、何か思うところがあったらしい。
一つ溜息を吐いた後に、
「ミルクか砂糖、どっちだ。買ってくる」
レティシアは驚いた。微かに不機嫌な色が漂ってはいるものの、普段からしたら今の発言はかなり珍しい。
この男は珍しくも自分の我が儘に応えようとしてくれているらしい。
「珍しい。オレの我が儘きいてくれるわけ?」
「これっきりだ」
からかうように問いかければ、藍色の目が居心地悪げに逸らされた。
不意にヴァンツァーが見せる、自分に対しての甘さは嫌いではない。
しかしこれっきりだと本人が言うのだから、この機会を逃せば当分はないことだ(彼の言葉どおりに、二度とないことはないとレティシアは確信している)。
「それで、どっちだ? 両方か?」
買いに行ってやるからさっさと手を離せと言外に告げている。
手を振り解こうとしない辺り今日はかなり寛大なようである。本当に珍しい事だと小さく笑う。
こんな機会を砂糖なんかに使う気はない。
「行くな」
「……砂糖もミルクもなしのコーヒーは嫌なんじゃないのか」
「嫌だ」
「だったら買いに行くしかないだろう」
「行かなくていい。コーヒーもいらねぇ」
ヴァンツァーは沈黙した。黙って自分を見下ろしているが、何やら考え込んでいるらしい。
レティシアも何も言わず、ただじっと飴色の目で彼を見詰めていた。
後悔しているだろうか、珍しく寛容な態度をとったことを。
ふっと詰めていた息を吐いて男が口を開く。
「それで、お前はどうして欲しいんだ」
「キス」
真顔で言ってみた。
本日何度目かの溜息を吐いた後に、目線で本気かと尋ねてくる。
半分冗談の半分本気であったが、何も言わずにヴァンツァーを見据える。
彼の手を握る力を強めた。
彼が動かないのなら、この腕を強く引いてレティシアから仕掛ける算段も立てていた。
ヴァンツァーは体の向きをこちらに向けて、床に膝をつくとゆっくりと頭を下げる。
空前絶後の出来事に、レティシアは目を開けたままだったが
「お前が言い出したことだ、目ぐらい閉じたらどうだ」
と鋭い声で言われてしまう。
だがこんなことは──くどいようだが、滅多にないのである。
目を閉じるというキスをする際には当然である行為をひどく勿体無く感じてしまうのだ。
レティシアのその気配を悟ってか、さっと目を手で覆われた。
その手を外す事も出来たが、そうしなかったのは滅多にない機会をふいにしてしまうほうが勿体無いと思ったからである。
柔らかいものが唇に軽く触れるのを感じた。それはほんの短い間で、目を覆っていた手もすぐに取り払われた。
ヴァンツァーはこれで満足かと目線で訴えてくる。
レティシアはしばらく絶句した後にようやく口を開いた。
「ほんっとにどうしたわけ?」
「失礼なやつだ。お前がしろと言ったんだろう」
「……本気でするなんて思わなかったぜ」
「しないほうがよかったか?」
大袈裟な程首を横に振る。
ここで彼の機嫌を損ねてしまっては、当分は相手をしてもらえないに違いなかった。
「明日は雪かねぇ……。ほんと、どうしたんだよお前……」
さっきと同じことを問えば、ヴァンツァーは小さく微笑む。
「毒を食らわば皿まで、だな」
再び呆気に取られたが、レティシアは心底おかしくなって吹き出した。
それからようやくいつもの余裕を取り戻してにやりと笑いかける。
「じゃあオレ、もうちょっと調子にのっていい?」
了承を得ようとする口調ながらも、行動する事ははすでに決めている。
レティシアは未だ掴んだままだったヴァンツァーの腕を強く引いた。


稀有なるシュガー・デイ





甘めで。ヴァッツをちょっとばかし攻め攻めしく。レティが弱冠乙女ですね。ほんの少し。
そしてキャラ崩壊ですね。すみません。


inserted by FC2 system