狂気とは何をさすのだろう。
不意に浮かんだ疑問に、レティシアは小首を傾げた。
常識。それはあちらの世界で散々叩き込まれたことだ。
暗殺という非常識な行為を確実にするために。
正気と狂気の壁は時に厚く、時に脆い。
そうしてレティシアはちらりと、ベッドに横たわる男に視線を向けた。
今は黙々と小難しい本を読んでいるこの男は、かつては壊れていた。
壊れきった人形はしかし、狂っていたのだろうか。
「普通の人」とは明らかに道が違う、自分達。しかし狂っていると言われればそうだろうかと不思議に思う。
かつて暗殺者として徹底的に育てられ、そして人形にも人間にもなり切れず壊れてしまったヴァンツアー。
だが今の彼は自身の行動を選択しているし、自主的に動くことができる。
あの退廃的な雰囲気も今は鳴りを潜めていた。
きっと過去の自分であれば詰まらないと思っていただろう。
しかし、今のレティシアは環境の変化にも、ヴァンツァーの変化にも特段嫌気はさしていなかった。
むしろ好ましいとすら感じている。
触れれば嫌悪を丸出しにした男が、今は嫌がる素振りは見せるものの最終的には受け入れてくれる。
それが嬉しかった。
あの頃の彼も、今の彼も気に入っている。おそらく、本気で好きだ。
それを言わないのは、言ってしまえば何かが崩れるような気がしたし、虚構のようにも思われるからだ。
歪んだ関係は未だ続いているが、その歪みは微々たる物だが、変化している。
いつか自分はこの男に本気で好きだと、愛していると言う日が来るのだろうか。
そんないつかが来てもいい、とレティシアは思っている。

あいのカタチ
(090220)

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