ガチャン、とドアが閉まった。
はっとその音で日向は我に帰る。
着替える手はいつの間にか止まってしまっていた。
またか、と思わず溜め息。最近、気を抜けばぼーっとしている。
原因は分かっている、が、どうしようもない。
全ては自分の問題だ。
閉じられたドアを見つめる。部員は皆帰った。
―――火神、も。
のろのろしている日向に痺を切らしたに違いない。
そういえば何か言って立ち去った気がする。
「さよなら」だったろうか。
そう考えてから、心が一瞬ヒヤリとする。
火神の背中を思い出す。
部室を出ていく彼の姿を、見てもいないのに想像できた。
自分に、背を向ける姿を。
「ばっかじゃねえの」
思わず独り言を呟く。自潮の笑みが浮かんだ。
はっきりと自覚してしまった、のは不安、だ。
火神が好きだ。
そして彼も日向を好きだと言ってくれる。
だからこそ不安になる、置いていかれることが。
自分では追い付くことなど出来ないのではないか、と半ば確信していた。
きっと、置いていく。
火神は後ろを振り返りはしないだろう。
その背を、見送ることしか出来ないとすれば。
嫌だ。
「……バカじゃねえの」
もう一度、呟く。
馬鹿だ。火神馬鹿だ。仕方ない、好きなのだから。
オレってこんなに弱いんだ、と笑おうとしたが上手く笑えない。
笑顔は、得意なのに。

――ガチャン。
日向はびくりと肩を揺らした。
予期していなかった音――ドアの開く音がしたからだ。
「あれ?先輩、まだ着替終わってない、ですか?」
きょとんとしながら変な敬語を使うその人物は間違いなく火神だ。
日向は二、三度瞬いた。
「……お前、帰ったんじゃ」
「は?忘れ物取りに行くって言っただろ、です」
「……日本語おかしい」
脱力してしまい、それしか言えなかった。
あんなにも自分は悩んでいたというのに、この男の呑気さに腹が立つ。
やはりコイツはオレのことに構い続けられるほど器用じゃない、と確信した。
ひどく情けない気分だった。
醜態を晒しそうで、未だに脱いでいなかったウェアに手をかけた。
「遅いし、先帰っていーぞ」
「待ちます」
即答。
そう気の長い方でもないくせに。
オレの気も知らないで、と内心で日向は八つ当たりする。
待たせてるからといつもなら焦るが、今日は何だか投げやりな気分だ。
待ってるって言ったのはコイツなのだから、と。
ちらりと視線を向けると当たり前の顔して待っている。
少なくとも、今の表情に不満は、ない。
最低だ、オレ。

「キャプテン」
はっと顔を上げれば、驚くほど近くに火神がいた。ぎゅっと眉を寄せて言う。
「どうしたんだよ」
頬に手が伸ばされたが、さっと顔を背ける。
「何も、ない」
今その手に触れられれば、すがりついてしまいそうだった。
伸ばされた手が所在無さげに空に静止し、下ろされた。
「出るぞ」
「……はい」

鍵を返して校門を出た。辺りは暗く、人通りはない。
日向は足取りをゆっくりとし、火神の少し後ろを歩いていた。
胸中を様々な感情が入り乱れている。
いっそこのまま突き放してくれれば、いや、でも置いて行かれるのは嫌だ。
相反する想いに息が詰まりそうだ。
火神はぶすっとした顔で沈黙していたが、不意に振り向いた。
「キャプテン」
思わず立ち止まる。
真剣な顔をした火神に気圧されてうつ向いた。
その視界に彼の大きな手が入り、そのまま日向の手をぎゅっと強く握りしめた。
「アンタが、何考えてんのか分かんないけど」
そこで火神は強く眉を寄せた。
日向の頬に手をあてて、上を向かせる。
「そんな泣きそうな顔、してんなよ、順平」
そう言って額にキスをした火神に、日向は一瞬呆気に取られた後赤くなる。
キスと、初めて名前を呼ばれたことに対してだ。
思わず涙腺が緩んだので慌ててうつ向く。
「……こっち見んな」
「何で」
「見られたく、ない」
ぎゅうぎゅうと火神の手を握る。
不安が解消された訳でもないのに、たったこれだけのことで嬉しくなる。
自分の火神への想いを一層強く自覚してしまった。
火神は何も言わず歩き始めた。
こいつにしては珍しくも、気を遣っているのだ。
すん、と鼻をすする。年下の前で、みっともない。
しばらく歩いていたが、火神が前を見たまま口を開く。
こういうとき、本当に火神は素直なのだ。
「……オレは、アンタが離れたいって思っても、ずっと引っ張っていくから」
ああ、駄目だ。
何でお前、こんなときだけオレの心が読めるんだ。
かっこよすぎんだろ馬鹿火神。
日向は振り向いてくれるなよ、と祈った。


はなさないでね

(090522)

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