「ただいま」
玄関の方からしたその声に、ヒナタは眉を顰めた。
声の主は犬塚キバだ。彼も自分同様ナルトと出会い認められた人間だが、ヒナタは今だ彼と打ち解けていない。
表のキバは騒々しすぎるが、素の彼は静か過ぎるし、何より忍びとして甘すぎるのだ。
今この家では帰って来た彼を除いて自分一人。
他の面々が帰ってくるまで彼と二人きりとは居心地が悪い。
すっと気配も無く居間に入ってきた彼は、ソファに座って見上げるヒナタを目に留めるともう一度ただいま、と言った。
お帰りなさい、と小さく呟いてヒナタは視線を手元の書物に戻す。
大体、今のように気配を常に消しているのも気に食わないのだ。此処ではそんなことをする必要などないではないか。
内心でそう思いながらもそれを口にしないのは、彼を傷つけるのが怖いからだ。
いくらあまり好いてはいない相手でも、仲間は仲間である。
さて彼は何処にいるのだろうかと(気配がないので分からないのだ)もう一度顔を上げると、キバはは常より緩慢な動作でうろうろと何かを探している。
全く要領を得ないその動きにこちらが苛々してしまって、ヒナタは声をかけた。
「何を探してるの」
振り返った顔に驚きの表情があったのをヒナタは見逃さなかった。
無表情の中にふとした色があったとき、ついつい物珍しく感じてしまう。
だが今はそれよりも、自分が声をかけたことに驚かなくてもいいではないかと不満に思うほうが強かった。
キバだってヒナタが彼を苦手としていることを心得ているだろうから、大方声をかけられたことが意外なのだろう。
「……救急箱」
それの在り処をヒナタは知らなかったが、声をかけた手前探すのを手伝わなければと思い書物を置く。
ヒナタの立ち上がる気配を感じ取り、
「別に、なければいいから」
暗に手伝わなくて良いとの言葉を秘めて言う。
「一人より二人の方が早いでしょう?」
「──ありがとう」
「……お礼は、見つかってからにしてよね」
さて、そもそもこの家に救急箱などあったろうか。
ごちゃごちゃと押入れやら戸棚をひっくり返すが目当ての物は出てこない。
物が少なく思える此処でも、こうして探し物をしていると色々出てくる。ただし巻物やら書物やら忍具だが。
「ないなあ……」
そこでふと気付いた。キバはどうして救急箱を探しているのか。それは怪我をしているからで……。
「キバ」
彼がこちらを向く。その顔色は何処と無く青い。
嫌な予感がますます募っていく。同時に腹立たしさも。
「あなた、何処を怪我しているの」
「……大した怪我じゃない」
「大した怪我じゃないならあなたは救急箱なんて探さないでしょ。それにそんなことを聞いてるんじゃないわ。見せて」
キバに歩み寄ると、体を検分するが特段怪我を負ったように見える場所はない。しかし、先程までの彼の動作から判断をつけて左腕を取った。
黒い長袖を無理矢理に捲し上げる。そのときに彼が僅かに顔を歪めたのも見逃さない。
現れた傷にヒナタは溜息を吐く。どうやらクナイで後ろから刺されたらしく、二の腕に適当にまかれた布を取り払うと、ぱっくりと割れた傷口。
布で血止めしていたようで、それを取ると血が彼の腕を伝い出した。
自分で治療するチャクラも残っていなかったのだろう。この分では他にも傷があるかもしれない。
ヒナタは手にチャクラを集中させて、彼の傷を治し始めた。彼は無言である。
寡黙と言えどナルトやシカマル相手ならもう少し会話もするのに。
小さな憤りがまた一つ。それらが積み重なってますますヒナタはキバに対しての態度を硬化させてしまうのだ。
そもそも、ヒナタがナルトとシカマルと出会い、任務を共にする事で信頼しあっていく過程にキバはいなかった。
キバとの出会いはヒナタが初めてこの家に来た時だ。任務は何度か共にしたことはあっても、会話などした覚えがなかった。
彼の正体と一応の人柄を知ったのはその時である。
だから、ヒナタはキバに信用されていないのかも知れなかった。
逆にヒナタがキバを信用しているかというと、一応、としか言いようがない。
ナルトとシカマルが認めているからこその信用だ。
ヒナタは彼がどのような経緯で此処にいるのか知らないし、自分の理由も話していない。
ナルトやシカマルとも多くを語り合ったことはないが、彼等の過去は推し量れるし逆も然りであろう。
読めないのがキバだ。
彼は穏やかだし、人間を(というより命あるものを)愛している。
だから忍びとしては甘いのだが、それを持ちえる環境にいたことは確かだ。
だがそれにしては無表情すぎるし、時折見せる冷酷さやあの発作は何なのであろう。
普段の彼は敵に対しても情けをかけて楽に死なせてやったりするのだが、極たまに残酷になる。
敵を苦しめた挙句に殺しては微かに微笑むのだ。溜飲を下げたように。
またナルトやシカマル相手に暴れたりもする。止めるのに一苦労で、血が流れなかったことはない。
その後はキバが死んだように三日ほど眠っておしまい。起きた時の彼はいつも通りなのだ。
ナルトは彼がそうなる理由を知っているようだ。
シカマルはどうなのだろう。私は、私は──何も、知らない。
そう考えた途端胸の奥底から込み上げてくるものがあった。それを見ないフリをして、ヒナタはキバを見る。
「他に、ケガは?」
「ない」
「本当ね? 嘘吐いてたら怒るわよ」
「他は、治療できたから。ありがとう」
「別に。でもどうして病院に行かなかったわけ?」
「……」
キバは拗ねたように視線を逸らすと、ぽつりと一言。
「人に触られるのが、嫌だ」
「……だから、私には怪我を隠したの?」
だってあなたはナルトやシカマルには触れられても何も言わないし、自ら触れるでしょう。
きっと怪我のことだって言ったに違いない。
どうしてこんなに腹が立つのだろう。どうしてこんなに悲しいのだろう。
どうして、私は、彼から、
「違うよ」
彼の言葉に私は顔を上げる。そこには真剣な眼差しのキバ。
「迷惑をかけるのが嫌だったんだ。これ以上嫌われるの嫌だし」
「気を遣わなくていいわ」
「本当だって。ヒナタは仲間なんだし」
「本当にそう思ってるの?」
「思ってなかったらオレはこうしていない」
「だって、あなた私と二人きりにならないようにしてるし、あんまり喋らないし自分のこと話そうとしないし、私に話しかけないし」
「それはヒナタも同じじゃないのか?」
その言葉にはっとする。信用されていないのでは、嫌われているのではとあまり彼と直接に関わろうとしなかった自分。

そして彼に信用されたいと願っていた自分。

それは彼も同じだったと?
なんて稚拙な私達だろう。そもそも基本的なことがなってなかったのだ。会話しない、しようとしない。
ああ、もう馬鹿すぎる。
呆れやら怒りやら可笑しさやらが込み上げてきて、ヒナタは苦笑して呟いた。
「馬鹿みたい」
何故今まで彼に対して苛立ちや苦手意識を感じていたかも分かった。
信用されていないのではと不安だったからだ。そうしてそれが悲しかったのだ、自分は。


「ただい、ま?」
「お帰りなさい、ナルト君にシカマル君」
ヒナタが書物から顔を上げて居間の入り口で固まっている二人に微笑んだ。
言葉尻を上げたナルトの横でシカマルがおうと呟く。しかしその視線はソファに固定されている。
そこではキバが眠っているのだ。
「何があったんだ?」
混乱した様子のシカマル。
キバはどれだけ疲れていようと仮眠であろうと必ず自分の部屋で眠る。
その態度が今だ自分達に警戒を解いていないのか気を遣っているのかと密かに考えていたに違いない。
結局それは、ヒナタとのしこりが問題だったわけだが。
「何もないわよ?」
彼等二人が自分とキバの関係にこれまた密かに悩んでいた事をヒナタは知っていた。
だからこそこれほど驚いているのだろう。二人の顔が面白い。
ヒナタは小さくクスクス笑って書物に視線を戻した。


ことのは

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