「いっづーきくーん」
鈴を転がしたような女の子の声。伊月宅に来る少女は一人しかいない。
相田カンパニー社長令嬢にして、伊月をスカウトした人物、相田リコだった。
インターホンも押さずに勝手知ったるとばかりに彼女は部屋に上がりこむ。
1LDKのこの家の中心でもあるリビングの様子を確認して相田はふむと頷いた。
「相変わらず日向くん、来てくれてるのねー。あ、ちゃんとご飯食べた?」
「食べた。日向といい、皆それ言うね」
「だって伊月くん、放っておいたら何も食べないじゃない。今日は日向くんは?」
「大学」
伊月の視線は一度も相田に向けられない。ひたすらキーボードを叩いている。
中々に不健全な姿である。これが会社のデスクに向かっているのなら、多少は健全に見えただろうか?
「たまには会社にも顔出しなよー。春日さん、会いたがってたわよ」
「オレは会いたくない」
春日とは伊月と同じ部に所属する人間で、大層伊月を気に入っている。
しかし伊月のこと、構われれば構われるほど煩わしくなるのだ。今のところ、その例外は日向のみである。
ちなみに、相田リコはその煩わしくなるぎりぎりラインを保っている。
彼女の鋭い観察眼が、伊月は嫌いではない。
「冷凍庫に、」
「ん?」
今朝日向が残していった言葉を思い出す。
「バナナアイス。日向が作ったやつ。作りすぎたーって」
「ほんと?うーん、日向くんって相変わらずまめね」
というよりは、何かにはまるととことん、のタイプ。
武将フィギュアはまだ集めているのだろうか。思わず壊してしまったあの日の日向は恐ろしかった。
「オレにも取ってー」
どうやらようやく作業が終わったらしい。その日初めて伊月と顔を見合わせた。
にっこり笑って、台所へ向かう。
冷凍庫を開けると、ご丁寧に器に盛られたアイスがきちんと二人分。
「日向くん、私が来ること知ってたの?」
「うん、言った」
伊月はソファーに座ると、目前のテーブルの上(資料やら本やらがごっちゃになっている)を片付けた。
とは言っても物を横にどかしただけだけど。
大坪さんが怒りそうな様子だ。日向くんも怒りそうだけど。
きっと伊月の部屋は日向がいないと、これほど綺麗に片付いてはいまい。
はい、とアイスをテーブルに置く。
伊月が早速食べ始めた。相田もそれに倣って食べる。
濃厚なバナナの味。
「おいしーっ!!」
「伝えとく」
まるで自分が誉められたかのように喜ぶ伊月。仲いいなあ、なんて少しだけ羨ましく感じてしまった。
「ほんっと日向くん上手よねー。今度私も何か作ってもらおうかな」
「それはダメ」
きっぱりとした拒絶。
伊月はにこにこ笑いながらも彼女を真っ直ぐに見据える。
「……なんで?」
「なんとなく?」
相田は沈黙した。何となく逆らいにくい雰囲気である。
この伊月の執着ぶりって、尋常じゃないんじゃないだろうか。
ごくり、とアイスを嚥下して、相田はにっこりと笑った。
「そっか。じゃあしょうがないかな」
「ごめんね」
このアイスの味はどうやら一生忘れられないな、と相田はひっそり思った。


バナナアイス


(090729)



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