自分の家の前に佇む人影に、ヴァンツァーは眉を顰めた。
「おかえり、ヴァッツ」
この男、レティシアは毎日のようにそこにいるのだった。
最早諦めの境地である。
ヴァンツァーは何も言わずにドアを開けて中に入る。当然のように入ってくる男。
やはり、いつものことだった。


目まぐるしく動く世界と、

「晩飯は」
「まだ」
いつもの会話だ。ヴァンツァーは何も言わず二人分の料理を作り始める。
大学を卒業し就職してから1年。今の家に住んだのもその時から。
そしてレティシアはほとんど毎日やってきた。
食前の挨拶も抜きにぱくぱくとがっつく男の姿。
最初のころは理由も理解できず、生活空間を侵されるのが気に障った。
しかしこちらの都合などお構い無しなのがレティシアであることは十分に分かっていることである。
要は、ヴァンツァーのプライドなのだった。
テーブルを挟んでレティシアの対面に腰掛けてヴァンツァーも食べ始める。
沈黙。
苦ではない。以前はこの男と同じ空気を吸っているだけでも嫌悪した。その気持ちがなくなって戸惑った。そして今は、自然。
我ながら、と内心で呟くもその先の言葉は自分自身でも分からなかった。
その沈黙を不意に破ったのは、レティシアだった。
「お前さ」
ヴァンツァーは視線を上げてそれに応える。
「結婚しねえの?──その心底呆れた、って顔やめね?」
「唐突すぎるからだ。オレはまだそんな年齢ではないし、今のところその必要性も感じない。お前はいつか結婚するらしいな」
王妃に聞いた話を思い出す。
しかしこの男が結婚して家庭を持って、父親になる、など。想像もつかない。笑ってしまいそうだった。
「おう。そのつもり。なんせ目指せ一般市民だからなあ」
「お前はそこから遠すぎる気もするがな」
「ヴァッツ、お前もだろうが」
反論はしない。自覚はあった。
「ま、安心したけど」
レティシアは真意の読めない顔でにこりと笑うと、グラスに口を付けた。
疑念を抱くも、素直に尋ねていいものか。この男の発言は時にヴァンツァーの動揺を誘うのだ。
男はヴァンツァーの様子を面白そうに眺める。
「お前が伴侶を持たない限り、オレは遠慮せずにお前のところに行けるからな」
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
何を言うんだこいつは。
ぷっと吹き出すレティシアを睨みつける。
悪い悪い、拗ねんなよ、とにやにや笑うのでますます気分が悪かったが、ここで苛々しても彼の思うままである。
溜息一つで気持ちを落ち着けた。
視線で続きを促す。
「だーってよお。お前に奥さんでも出来てみろよ。こんな風にしょっちゅう会ったり出来ないし、」
レティシアが身を乗り出す。飴色の目に自分が映りこむのが見え、そしてその視界が崩れる。
レティシアには似合わないぐらいの優しい口付けに、ヴァンツァーは僅かに硬直する。
この男の行動に、未だ慣れないのがこういう行為だった。
「こういうのも、出来ないだろう?」
にやりと楽しげなこの男に、抗う術をヴァンツァーは知らない。

変わらない日常



(090729)


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