にんまりと猫が目を細めた瞬間、嫌な予感がした。
そのままレティシアは近付いてくる。嫌な予感が増したので、ヴァンツァーはその分だけ距離を開けた。
さっと視線をドアに向ける。この距離なら、逃げられるだろうか。
身を翻そうとしたが、行動を当然の如く読んでいたレティシアがそれを許さなかった。
首筋を刺すような気配。圧倒的なそれに一瞬体が怯む。
「ヴァッツ」
伸びてきた手に捕まるまいと身をかわす。
だが、こうなっては敵うはずも無かった。
「……なんだ」
あっという間に壁に追い詰められた。
面白がるような飴色に、今更ながら応える。
至近距離のその目に囚われないように、顔ごと逸らす。この男は危険すぎる。
レティシアの手が頬に触れた。そのまま撫で下ろされ、背筋が粟立つ。
死が、染み込む気がした。
息を詰める。体が緊張していた。逃げる事は敵わない。ならば、早くこの時が終われと祈るしかない。
早く、一刻も早く。囚われてしまわないうちに。

願う事など少ないヴァンツァーだが、その少ない願いすら叶わないことを、彼は知っていた。

戯れのような、キス。
するりと衣服の隙間に侵入するその手に、ヴァンツァーはようやくこの男の目的が分かった。
抵抗は空しいと分かっていたが、それでもせずにはいられない。
嫌だ、と思った。嫌悪感と、恐れ。レティシアはいつだって自分を殺せるのだから。
「……っ、」
体を震わせて息を詰めると、レティシアの目は剣呑に光る。
この男にとって、ヴァンツァーはどこまでも玩具でしかなかった。
口内に侵入してくる舌を噛む。猫の目が笑う。口の中に血の味が広がった。
くつくつと喉の奥で低く笑って、レティシアはお返しとばかりにヴァンツァーの鎖骨のあたりを噛む。
途端ヴァンツァーは、全てを諦めた。
この男にとってヴァンツァーの反応など抵抗であろうが何であろうが、楽しませる要因にしかならないのだ。
所詮は、その程度の。
ならば無駄に労力を使うことも、レティシアを楽しませることもない。
くたりと力を抜いて人形のように無表情になったヴァンツァーに、それでもレティシアは笑う。
「ヴァッツ。ほんとに、お前は面白いな」
攻め寄る熱に流されまいとしながら、ヴァンツァーは目を瞑る。
死神に与えられるものに昂ぶる熱が、死にたがりにどこまでも生を知らしめる。
はやく終われ、とヴァンツァーは内心で念じる。
レティシアの毒に侵されきる前に。
そうでないと、この男に殺されたくなってしまう。


死神の温度
(090901)



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